図南の翼

嘉幡茂(ラス・アメリカス・プエブラ大学准教授、京都外国語大学客員研究員)

 

日本で修士課程を終え、2003年の夏、私はメキシコ国立自治大学(Universidad Nacional Autónoma de México、以下UNAM)・文学部・人類学調査研究所(Instituto de Investigaciones Antropológicas, Facultad de Filosofía y Letras)の博士課程に入学した。UNAMは、1551年創立のアメリカ大陸で2番目に古い大学であり、またラテンアメリカで最大の規模を誇る(写真1)。ここでメソアメリカ考古学を専門に人類学博士号を取得するため、希望とやる気に満ちてメキシコに渡った。

 

写真1 メキシコ国立自治大学の風景(20105月撮影)

 

しかし、数ヶ月後、それは苦悩へと変わっていた。日本での自分の研究方法に疑問を抱くのみならず、博士号を取得することの困難さに直面していた。それはすべて、自信のなさから来るものだった。

UNAMでの授業は、設けられたテーマに沿って、主に教授が議長となり学生たちが議論する形式で行われる。そのために、毎回、事前に数10ページにわたるスペイン語や英語の論文を読み、内容を充分に把握して授業に臨まなければいけなかった。そして、そのテーマは人類学・考古学理論と関連し、古代社会がなぜ萌芽・発展・衰退したのか、当時の世界観とは何かなど、日本で受けた講義内容とは大きく異なるものだった。

「そんな難しいテーマのスペイン語とか英語は分からへん」

「間違ったことを言ったら恥ずかしいし、下手なスペイン語で人前で話されへん」

「そんなことよりも、何言ってるのかさっぱり分からん!」

言葉(スペイン語)の壁や他の学生と比べるとメソアメリカ人類学・考古学に関する知識が乏しいことが、自分自身を委縮させていった。そして、日本で学んできた考古学の知識や経験を価値のないものであるかのように感じさせていった。さらに、年2回実施される論文指導会議では、3名の指導教官の前で研究成果を充分に発表できず、叱責の声を聞く。もはやメキシコ考古学に貢献できる研究者として成長することは不可能で、自分自身が無能な人間であるとさえ感じるようになっていた。

しかし、2年がたったころ、転機が訪れた。

200511月、第4回テオティワカン円卓会議(IV Mesa Redonda de Teotihuacan)という国際学会の公募論文で、最優秀賞を受賞したのである。応募した論文は、日本にいる時に苦労して書いた稚拙なスペイン語の修士論文を、加筆修正そして凝縮したものだった。この受賞により、学んできた日本考古学の方法論は間違っておらず、自分が思い描く考古学を発展させて行けばいいのだ、と考えられるようになった。さらに、様々な学会に参加し、多くの研究者の発表内容を聴く、そしてスペイン語・英語文献を読むに従い、自分の研究を自己批判する視点も養われるようになっていった。

私は少しずつ研究者として成長していけた。

スペイン語学能力の向上、自己批判しながら作成する博士論文、さらに、多くの研究者と意見交換し独自の研究方法論を確立していく過程は、私の指導教官であるUNAMの杉浦洋教授のお蔭だ。

洋先生は、私がUNAMに入学した初日に「今後の会話はスペイン語で行いましょう」とおっしゃり、これ以降、彼女との会話はすべてスペイン語になった。言葉のハンディーキャップを早く克服できる場、多くの学会に参加・発表させて様々な分野の研究者と知り合う機会、メキシコ人学生と共同で研究し発掘調査を行うフィールド、机上では理解できない野外学習への参加(民族考古学の実践)、博士論文の文字通り一字一句の添削、稚拙な論の展開に対する指摘と改善方法など、洋先生は私に貴重な環境を整えて下さった。

従って、その指導は容赦なく厳しかった。

考古学に関する指導のみならず、考古学成果の社会還元、後輩への指導方法、仲間との協調の取り方、研究者としての役割と義務など、いわば考古学を介する人材の育成教育を実践されていた。

「博士候補生は、今まで学んだことを後輩に伝える義務がある。そのことであなたはもっと勉強することができ、より大きな視野を持つ研究者に成長できる。そして、発掘では地元の人たちに、自分たちが何を調査しているのかを伝える義務がある。調査目的が自分の知的好奇心を満たすものだけでなく、社会に貢献できるものであり続けるために。そのためには、特に外国人であるあなたは、人の3倍は働かなくてはいけない。2倍ではいけません」。

メキシコ人の友人たちは、私がいつも何かに追われ、悩んでいる姿を見て、なぜそこまでして考古学を研究しているのか理解できないようだった。

「師が自分の時間を削ってまで人を教育する真摯な姿に応えるには、克己復礼の覚悟が必要だ」。

 

写真2 サンタ・クルス・アティサパン考古学プロジェクトの参加メンバーたちと

200512月撮影)

写真3 考古学プロジェクトの参加メンバーたちと

(サン・マテオ・アテンコ遺跡にて、20093月撮影)

そんな姿勢が周りのメキシコ人にも認められたのか、彼らは私を同じ考古学プロジェクトを進める一員と受け止めてくれた(写真23)。彼らと発掘作業の進行を話し合い、そして、整理作業の段取りなどを決める。自然とそこに私の場所ができあがって行った。

そして201047日、ようやく、博士論文口頭試問の日を迎えることができた(写真4)。UNAMでは、口頭試問を終え博士号を授与する際、常に論文主査が学生に以下のことを問う。洋先生は心して聞くようにと前置きされた。

「今日からUNAMの人類学博士となるあなたは、今後、その名を汚さず、この学位に見合う成果を発表できるよう努力し、社会に貢献できる人間として活動しなければなりません。できますか?」

……はい」。

その義務の重さにとまどう。

学位を取得することが目的ではなく、それを持つにふさわしい人間となるための博士号取得課程であったと、その時、初めて気付かされた。

その言葉は、今でも深く心に刻み込まれている。

2015106日)

 

写真4 UNAMでの口頭試問(20104月撮影)

 

本エッセイは、特別展覧会の図録古代メキシコ・オルメカ文明展マヤへの道』(京都文化博物館、2010年)に収録された「メキシコでの考古学人生」(160-161頁)を加筆修正したものである。